『新潟日報』社説 2007年5月23日付

国立大学交付金 競争原理で割り切れるか


国立大学は市場原理に基づく競争に耐えられないようならつぶれても仕方がない。政府の経済財政諮問会議や規制改革会議などが提起する国立大の運営費交付金の配分見直し論からは、こんな考えが読み取れる。

教職員の給与費などに充てられ、大学運営を支えている交付金を、研究成果などに応じて重点配分する。「ぬるま湯」体質を改善し、世界に肩を並べる大学を育てようという主張である。

国立大が二〇〇四年度に独立行政法人化したときから、交付金は毎年1%の削減が課せられている。大学運営に経営感覚が求められ、既に経費削減は至上命令なのだ。

独立法人としての第一期計画は六年間で、実績に基づいて第二期計画の交付金額が算出される。新潟大をはじめ各大学は受託研究費を増やすなど、独自の収入源確保も目指している。

一〇年度からの次期計画に向けて努力しているさなかに、配分方法の大きな見直しが打ち出された。性急な印象は否めない。

大学側からは今でさえ、乾いたぞうきんを絞るようなものだという声が聞こえてくる。国立大学協会理事会は「教育の質を保つ上で限界に近づいている。政府の議論はあまりにも経済・財政の視点が強い」と反論している。

地方軽視の考えがうかがえることも気に掛かる。

見直しの必要性を訴える財政諮問会議の民間議員は、「地方の国立大学は同じような総合大学で個性を発揮していない」「首都圏などの私立大学へ学生が流れるのがその証し」だという。

学ぶ機会が地方に限られる学生は少なくない。国公立大と私立大との学費の差は縮まってきたとはいえ、地方の学生が首都圏の私立大に進むには、経済的な負担は依然大きい。

私立大のトップクラスと競い合う国立大学を目指せという論はもっともだが、地方大学ならではの地域貢献や人材育成の実績にも目を向けるべきだ。

交付金は〇七年度で一兆二千億円ある。総額を増やした上で配分を見直すとの考えも示されたが、政府の各会議の考えは一致していない。

配分見直しは第三者機関による教育評価の基準によるとされる。誰がどのようにやるのかも問題だ。

先端分野の研究などは成果が見えやすいかもしれないが、教育系などでは長期的な視点が必要な場合もあろう。評価で混乱を招く恐れはないのか。

事は地方の文化・教育を支えている大学の存否にかかわる。まず、見直しの設計図をきちんと示すことだ。

それがないまま、改革一辺倒の発言があちこちから出てくる。これでは実りある議論は望めない。