『日本経済新聞』2007年4月2日付 朝刊27面 教育欄

国立大の運営費交付金 分配見直し提案


国立大学法人の運営費交付金配分ルールの見直しなどを盛り込んだ経済財政諮問会議の民間議員提案が、国立大学などに波紋を広げている。民間議員の一人、伊藤隆敏東京大教授に寄稿してもらった。

経済財政諮問会議民間議員 伊藤隆敏

競争促進へ 「選択と集中」 努力と成果を評価/一律削減に疑問

「成長力強化のための大学・大学院改革について」と題した私たちの提案が一部では、国立大学の固定費である運営費交付金の支給額を研究提案の内容で決定する提案と受け止められ、反発を招いているようだが、そういう意図は全くない。

◆全体が地盤沈下

現行の運営費交付金配分ルールは、二〇一〇年まで、すべての国立大学の交付金が一律に毎年一%ずつ減らされる。このルールを変えることはない。焦点は一〇年以降も本当に今のような一律削減でいいのか、という問題提起なのだ。

創意工夫をあまり評価しない一律削減の原則を続けていけば、国立大学全体が地盤沈下するのは明白だ。世界的に「中の上」はあっても「上」はないという日本の大学の傾向が強まるだろう。

私たちの提案は、あくまでも「国際化や教育実績など」について、大学の努力と成果を評価し、努力した大学には手厚く交付金を配るというものだ。競争的資金による研究評価とは切り離して考えている。

提案内容を確認しておきたい。提案は(1)イノベーション拠点としてー研究予算の選択と集中を(2)オープンな教育システムの拠点としてー「大学・大学院グローバル化プラン(仮称)」の策定(3)大学の努力と成果に応じた国立大学運営費交付金の配分ルールーの三本柱からなる。

(1)は、科学研究費の配分の問題だ。優れた研究を生むために、評価を厳密に行う一方、高い評価を得た研究に継続的に予算が集中的に投下され、競争的資金部分を増額する仕組みの充実を提案したもので、あまり異論はないはずだ。若手は初回の申請者に限っては、名前や経歴を伏せるマスキング審査もありうる。

◆入試日の分散化

(2)には「文系・理解の区分の撤廃」「入試日の分散化と九月入学の実現」などを盛り込んだ。

「文系・理系の撤廃」とは、具体的には学部や学科に細分化された入学試験をやめることだ。今のように十八歳で専攻を決めるのは早過ぎる。一年ないし二年、昔でいう教養課程で学ばせ、学生の履修科目、成績や興味を基準に専攻を決める。

多くの学生は最先端の領域に進もうとするから、選択競争が激しくなり、勉強するようになる。最初から狭い専攻を決めていないため、例えば金融工学や環境工学、医療経済学といった融合領域の勉強がしやすくなる。定員割れの学部も生じ、競争倍率を見ればどの学部が人気かが一目瞭然になるため、教育する側にも競争圧力が働いて、大学教育の質向上につながる。

「入試日の分散化」は、実現したいテーマだ。現行の国立大学入試は、前期試験と後期試験があるものの、後期を受験できるのは前期の不合格者か辞退者だけ。入試問題の構成も違う。事実上、チャンスは一回で、入試日を統一するのは、国立大学のカルテル行為のようなものだ。浪人は人材のミスアロケーション(誤った配分)である。

受験機会を広げ、国立大学の複数受験・複数合格を認めた上で、受験生が大学を選ぶ方式に改めてはどうか。一期校・二期校の時代があったが、五期校や六期校の態勢にするのだ。そうすれば、私立同様に合格者の歩留まりを高める競争が一気に始まる。教育の評価が低いと、学生がまともに集まらないから、本気で教育改革に取り組まざるを得なくなる。受験生の勉強法や入試の出題にも好影響が出るだろう。

◆国大協は反発

(3)は、国立大学協会などが最も反発している項目だ。提案の背景には米国の州立大学での経験がある。州立大学の予算は、州の財政状況に左右される。 州財政が厳しくなり予算が大幅にカットされると、大学は一番弱い学部を廃止して事態を乗り切る。学内予算の一律削減は最も愚かな方法で、優秀な教授、優れた学部の教授から順に他大学に引き抜かれ、全体の地盤沈下がおきる。

運営費交付金は現行の一律削減方式の無期限延長で、本当によいのか。国立大学は本当に全都道府県にひとつ必要なのか。個人的には大学間の合併がおきても良いと思うが、そうした点も含めて議論を喚起したい。

米国では、学部教育ではハーバード大学がナンバーワンだと思わない人も多い。研究重視型、教育重視型など、いくつかのタイプに大学が分化しているからだ。だが、こうした機能分化が日本ではない。みんなが同じことをやろうとして、みんなが同じひずみを抱えたまま沈んでいく。これでは、教育も研究も教員も学生もだめになる。

努力した大学に「選択と集中」を促すような交付金制度にすることで、大学は一番弱い学部を閉じ、国は成果を出さない大学への交付金を大幅削減する。この方が、国全体の教育水準、研究水準を競争を通じて強化することができる。

教育型と研究型の分離も進めるべきだ。東京大学は本郷で世界の研究者に開かれた大学院だけになり、駒場が四年制の主に学部教育重視大学として独立するというのも、モデルの一つとしてあり得る。さらに、駒場で理科系の専攻ときまった学生のうち成績が良い学生は、三ー四年は本郷(または他の研究大学)で実験に従事して(単位認定のうえ)卒業、という連携もありうる。

今回提案は、「成長力強化のために」とうたったように、良い大学、可能性のある大学をさらに良くする方策が基本だ。だが、トップクラスの競争力が高まれば、ほかの大学にも圧力がかかり、日本の大学全体の水準が向上する。各方面でも幅広い議論を期待したい。