『読売新聞』2006年12月21日付

東大解剖──第2部(3)
史料を電子化 歴史に光


古文書の上に紙を置き、毛筆で筆跡まで書き写す「影写」を行う職員(東大史
料編纂所で) 日本の歴史の基礎は東大で紡がれている。

書庫は7階建ての建物を10層に分けてある。かがんで歩かないと頭をぶつけ
てしまうほど天井が低い。

東京大学史料編纂(へんさん)所は、その名の通り、史料の収集、解読、整理
をするのが仕事だ。今では多くの史料を写真に撮って保存しているが、絵地図
を模写したり、古文書を筆跡まで模写(影写)したりする専門の職員もいる。

その前身をたどると、200年以上前までさかのぼる。「江戸時代中期まで、日本
の歴史は神話や物語の世界でした。当時の史料を集めて検証することで客観的
な歴史になる」と所長の保立(ほたて)道久教授(58)が解説する。

例えば、大名の禁止事項などを定めた武家諸法度の制定(1615年)は、「駿府
記」「土御門泰重卿記」「慶長見聞集」などの記述を参考に検証した。

このように、平安中期から明治維新までの関連史料を収集、検証し、歴史的な事
実を記述したのが「大日本史料」だ。1901年から刊行が始まり、379冊を出して
今も作業が続いている。こうした仕事が歴史の教科書や年表の基礎になっている。





史料で史実を考証したのは、水戸黄門の徳川光圀が1657年から始めた「大日
本史」が最初。史料編纂所による活字出版が第2の革命だとすると、歴史研究の
世界には今、データベース化という第3の革命が起きている。

史料編纂所が1980年代半ばから進めた所蔵史料のデータベース化によって、多
くの人が大量の情報を検索できる。古文書、刊行物から花押、古写真まで、データ
ベースは21あり、鎌倉時代以前の古文書5万点はすべて利用できる。「3年必要
だった研究が、集中すれば2か月でできるようになった」(保立教授)

このデータベースで人物検索をすることで、義経と母・常磐の関係も違った側面が
分かってきた。常磐が、かつて仕えていた近衛天皇の妻、九条院呈子の周辺の人
間関係を使って、義経に様々な形で保護、支援をしていたことが明らかになった。

劇的なのは語彙(ごい)の研究だ。義経が頼朝への弁明の手紙で使った「服仕」と
いう言葉。地方の豪族に仕えながら逃亡を続けたのだと思われていたが、用例を
数多く集めることで、地方の豪族が義経に仕えて逃亡を手助けしていたという意味
の言葉だったと分かった。

「かつて語彙の解釈は天才だけができるあこがれの仕事だった。データベースを使
うと、こうした研究が誰でもできる」と保立教授は感慨深げだ。

また、中国やロシアとの国際協力も進み、幕末期を中心に、多くの史料が利用でき
るようにもなっている。1861年、ロシア軍艦が対馬を占拠して大騒ぎになった事件
も、ロシア皇帝の御前会議で、外務省の反対を押し切って、海軍が強行したもので
あることが分かった。

こうした史料は2万点近くある。幕末外交史が専門の保谷徹教授(50)は「これか
ら外交秘話がどんどん明らかになる」と期待している。(杉森純)

史料編纂所 1793年に国学者の塙保己一(はなわほきいち)が開いた和学講談
所が前身。薩摩藩島津家に伝わる国宝「島津家文書」を始め、文書、手紙、日記な
どの史料50万点が収められている。人文系の研究所としては国内最大。研究部に
は教授18人、助教授19人、助手21人が所属する。1000冊以上の史料集を刊行
しており、データベースには月約200万件のアクセスがある。