■ 教育基本法改正に反対する声明


私たちの東京大学史料編纂所は、100年以上前より、明治以前の我が国の歴
史を研究し、その成果を史料集としてまとめる仕事をしています。私たちは、我
が国の中の様々な地域・集団の伝統文化を次代に伝える重要な国家的使命
を帯びていると自負するものです。

そのような立場にある私たちから見て、今回の教育基本法改正案のうち、第
2条第5項の言う「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土
を愛する」態度を養う、という内容は、非常に危険な問題があると考えます。

今から60年前、日本史研究は、狂信的なナショナリズムである一部の「皇国
史観」研究者によって、多くの人々を惑わし、傷つけ、そして死に追いやった
苦い過去を持っております。そのような過ちに二度と陥らぬためには、様々
な見方や考え方を認め、できるだけ客観的な歴史事実を明らかにせねばな
らない、と私たちは信じています。その歴史事実の中には、当然国家が犯し
た様々な過ちも含まれます。そして過去の過ちを深く反省することを通してこ
そ、国際社会から信頼され、また私たち自身誇れるような国が作れるものと
考えます。

しかし改正案第2条第5項のように、「国を愛する心」それ自体が優先される
ならば、物事の一面のみの、表面的な「美しい」面のみしか国民は学ぶこと
ができなくなるでしょう。やがては、私たちの使命である客観的な歴史事実
を追究することもできなくなる恐れがあります。それは、憲法の定める学問
の自由や精神の自由を、損ねるものです。また我が国の国際的評価を貶
めるものとなりましょう。ついには、だれにもコントロールできない狂信的ナ
ショナリズムを招く危険すらあるのです。

このような問題点がある以上、私たちはこの改正案には反対です。

私たちは、伝統文化を尊重するという理念は今の教育基本法でも十分実
現できると思います。教育基本法前文には、「普遍的にしてしかも個性豊
かな文化の創造をめざす」とあります。ここで言う「個性豊かな文化」とは、
国際社会の中での我が国固有の伝統文化と、また国内諸地域・集団ごと
の伝統文化も含まれていると考えます。そのような様々な伝統の尊重なし
には、個性的な文化は創造できないからです。いまの基本法前文の精神
に基づいて、伝統を尊重した教育を行うことは十分できるのです。

改正案を廃案にし、いまの基本法のもとで、様々な伝統を尊重するとともに、
歴史事実を真摯に受け止め、自省する国民を形成することを目指すこと。こ
のことを私たちは、強く求めます。

2006年11月24日

東京大学史料編纂所で働く有志(教員・職員) 51名

横山伊徳・須田牧子・田中博美・藤原重雄・松方冬子・木村由美子・佐藤孝之・
保立道久・井上聡・清水亮・黒嶋敏・高松百香・小野将・稲田奈津子・小宮木代良・
前川祐一郎・近藤成一・粕谷幸裕・高橋典幸・山口和夫・木村直樹・箱石大・
高橋敏子・久留島典子・林譲・西田友広・榎原雅治・高橋慎一朗・松井洋子・
菊地大樹・相京眞澄・齋藤愛・千葉真由美・渡辺江美子・鶴田啓・犬飼ほなみ・
山家浩樹・遠藤珠紀・佐々田悠・綱川 歩美・田中葉子・若林晴子・荒木裕行・
及川亘・遠藤基郎 (他5名)