2006年(平成18年)10月4日
内閣総理大臣 安 倍 晋 三 殿

大阪弁護士会
会 長 小 寺 一 矢

         教育基本法改正法案に関する意見書

一 はじめに

 当会は、去る4月18日に、「国会において、教育基本法改正について、国民的
議論を踏まえた徹底した討論を行うことを求める」旨の会長声明を出した。そ
の後、政府は、本年4月28日に先の通常国会に教育基本法改正案を提出し、引き
続いて民主党も日本国教育基本法案(新法案)を提案した。先の国会では、特
別委員会が開かれ、形の上ではある程度の時間が割かれて討議されたものの、
当会の求める「国民的議論を踏まえた徹底した討論」とはほど遠いものとなっ
た。

 9月26日には臨時国会が開会され、両法案の審議が再開される。報道によれば、
同国会において教育基本法改正が目指されるという。同法の改正については多
くの重要な討議すべき諸点が存在することを踏まえつつ、当会としては、この
期に当たって少なくとも以下の点において、現在継続審議中の両法案には反対
し、教育基本法の改正の要否と内容や教育の改革についてより徹底した国民的
議論を行うことを求めるものである。


二 憲法と教育基本法

1.教育基本法のわが国における位置づけ

1946年(昭和21年)、敗戦の中で、民主的で平和的な国家再建の基礎を確立す
ることを目指して日本国憲法が制定された。その憲法制定の審議の過程で憲法
とは別に教育に関する基本法を定めることが約束され、翌年の1947年(昭和22
年)、教育基本法は、憲法の附属法として起草され、憲法の理想を実現するに
は、「根本において教育の力によるべきである」として制定された。

 教育基本法は、憲法13条及び26条を受けて、国を名宛人として教育の基本理
念を定めたものである。したがって、憲法が国家に制約を課すものであるのと
同様に、教育基本法も国家に対して憲法理念による制約を課しているのである。

2.国家による教育内容決定権能の憲法上の限界

 日本国憲法のよって立つ個人の尊重(憲法第13条)と国民主権(同前文、第1条)が
真の意味において実現されるために、個人は、自律的な存在としてそれぞれの
幸福を追求し、かつ、主権者としての社会的責任を担うために、必要な判断能
力と教養等を身につける必要がある。子どものそうした基礎的な能力と知識を
育てる過程が教育である。

 憲法26条の教育を受ける権利の前提には、親による教育の自由があり、国が
教育制度を確立し教育の場を提供するにあたっては親による教育の自由が最大
限に充足されるように配慮することが要請される。また、教育は人格的接触を
通じて人の潜在的資質を引き出す創造的作用であるから教育の実施にあたる教
育専門家たる教師も一定の「教育の自由」を持つ。国が教育とどう関わるかに
ついて、最高裁判所は、旭川学テ判決において、いわゆる「国家教育権説」と
「国民教育権説」のいずれも極端な説として斥け、親、私学および教師の自由
がそれぞれ一定の範囲において妥当することを前提に、それ以外の領域におい
て、国が、子ども自身および社会公共の利益のため必要かつ相当と認められる
範囲内において、教育内容について決定する機能を有するものとし、その際子
どもが「自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、
例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を
施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されない」
とした。教育基本法の改正にあたっては、この判決に立ち返り、その当否を吟
味しなければならない。

三 教育の目標に徳目を定めることの危険性

 改正案は教育の目標の中に、「公共」の精神、道徳心、日本の伝統・文化の
尊重、郷土や国を愛する態度を育てること(民主党案は愛する心を前文に入れ
た)などの徳目を加えた。

 主権者たる国民には、民主主義システムが成立する前提として、多数決原理
が機能しうるような一定の共同体意識が必要であることには異論はない。その
ために、成長発達段階にある子どもの人格形成の過程で、命を大切にし、友人
を大切にしつつ、自分らしさを育んでいく、その中で社会の一員としての公共
心を育むなど、一定の価値を定め、これを子どもの内面に対して働きかけてい
くことが必要になることがあり、時にそれが教育の本質的な作用となることも
あろう。「国を愛する心」「国を愛する態度」についても、どのようなものを
指すのか個々人によって様々ではあるが、その内容如何では、その価値を教育
現場で教えることについて、必ずしも否定されない場合もあろう。

 しかし、このような徳目は本来極めて多義的な内容を含み、しかも人格形成
に関わるものであり、憲法の保障する精神的自由に属する事柄である。特に、
子どもは、成熟した判断能力と教養等を獲得していく発達途上にあるから、公
権力が多義的な徳目について教育することについては、精神的自由を侵すこと
がないように、また「誤った知識や一方的な観念」を教えることのないように、
とりわけ慎重な配慮が必要である。すなわち、徳目について教育を行い、内面
へ働きかける場合には、子どもが発達段階、個性、環境などにおいて一人一人
異なる存在であることを尊重し、教師および子どもと親の個々の信頼関係に基
づく極めてデリケートな教育的配慮のもとで行われるべきものである。

 ところが、法律によって教育の諸目標に徳目が定められれば、多義的な徳目
の内容が、法律の制定・解釈・適用を行う際に、時の政治的影響下で、画一的
なものとされてしまうおそれがあり、誤った知識や一方的な観念を教え、子ど
もに対してその影響を受け入れるように強いることにつながりかねない危険が
ある。特に、「国を愛する心」「国を愛する態度」を法制度の中で定め、画一
的解釈・適用に委ねられるとすれば、多様な解釈を排除することになり、特定
の解釈を正しいものとして受け入れるよう強制されることになりかねない。そ
うなれば、明らかに子どもの精神的自由が侵害されることになる。さらに、こ
のような画一的価値の教育の強制は、教育専門家たる教師の「教育の自由」に
も抵触する。

 徳目の法制化が内心の強制につながるという点は、愛国心が国民を一つに束
ねる道具として使用され、国を誤った方向に導いた戦前の苦い経験を踏まえれ
ば、単なる危惧とは言えない。この危険を払拭する継続的かつ実効的な方策が
採られない限り法制化を許すわけにはいかない。このような方策について、時
の政権が変わっても不断に国民が監視できるような十分に機能する方策が果た
してありうるのかどうか、あるとしてどのような方策なのか、国民的な徹底し
た議論がなされるべきであろう。ところが両法案には、かような方策は規定さ
れていない。

 したがって、徳目、とりわけ愛国心について、多様な解釈を排除し、特定の
解釈を強制するおそれのある法制化には強く反対する。

四 教育は国その他の勢力によって不当に支配されてはならない

 教育基本法10条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対
し直接に責任を負って行われるべきものである」と規定している。この条項は、
子どもの教育を受ける権利を充足するために、親や、その付託を受けた教育専
門家である教師の「教育の自由」が、国その他の勢力による党派的な不当な干
渉がなされることにより侵されることがないよう定められたものであり、旭川
学テ判決でも明らかにされた。

 ところが、政府案は現行法第10条第1項前段「教育は不当な支配に服すること
なく」は残したものの、後段の「国民全体に対し、直接責任を負って行われる
べきものである」を削除し、民主党案は「教育は不当な支配に服することなく」
との条項も削除しようとする。その上で、両法案は、「教育は法律の定めると
ころにより行われる」等と規定しようとする。しかしこれら改正案では、法律
による国の教育への介入が無制限に容認される危険性がある。

 先にも述べたように、教育は、何者によっても利用され、支配されてはなら
ない。旭川学テ判決で最高裁が懸念したように、「政党政治の下で多数決原理
によってなされる国政上の意思決定はさまざまな政治的要因によって左右され
るものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして党派的
な政治観点や利害によって支配されるべきではなく、教育にそのような政治的
影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のご
とき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される。」ので
ある。その理を教育基本法から外すかのような解釈・適用を可能とする改正は、
憲法26条、13条にももとることになろう。

 また、両法案は共に政府に教育振興基本計画を策定する権限を新設し、その
範囲は教育の理念、学校・教員のあり方、研修制度、評価システムなど広範な
分野におよぶという。しかし、教育振興基本計画は政府が決定して国会に報告
するもので、法律でもなければ国会の承認を得る手続きすら予定されていない
ことからさらに問題は大きい。同基本計画の導入は、法律でも不当に介入して
はならない教育の分野に関して、民主的手続さえも踏んでいない行政機関の介
入を正当化することになり、教育がその時々に不当に支配される危険がさらに
増すであろう。同基本計画の中身については、法案からだけでは明らかではな
いが、国会審議の中では同基本計画は学習指導要領に反映させて教科書検定に
用いられることが明らかとなっている。そうであれば、教育行政は教育の内容
に介入する根拠を得、時の政権の意向を受けた教育行政が容易に進められるこ
ととなる。

五 おわりに

 2003年3月の中央教育審議会の答申では、日本社会は現在、自信喪失感や閉塞
感の広がり、倫理観や社会的使命感の喪失、少子高齢化による社会の活力低下、
経済停滞などの危機に直面しており、教育の面でも、青少年の規範意識や道徳
心の低下、いじめや不登校、学級崩壊、学ぶ意欲の低下など多くの課題を抱え
ており、今日本の教育を根本から見直し、新しい時代にふさわしく再構築する
ことが求められていると指摘された。日本社会の問題、子どもたちが直面して
いる深刻な問題については、当会としても、極めて憂慮するものであり、教育
における改革については、当会において、常々、研究と提言を行ってきている
ところである。

 子どもが直面している問題は、大人社会のゆがみが子どもに投影されたもの
であり、実に様々な要因が関わっている。これらに対しては、国民一人一人が、
自律的でかつ社会的責任を負った主権者として、この国に豊かな創造性と希望
をもたらす次世代の教育を考えて、大いに知恵を絞らなければならない。教育
改革については、教育現場の問題点も含めて幅広い角度から十分に検証し、分
析し、原因や背景事情を見極め、徹底した国民的議論がなされなければならな
い。

 以上述べたように、当会は、現在の法案に対しては、愛国心を含む徳目条項
を教育の目標とする点と、国による教育への不当介入の問題点について、憲法
に適合しないおそれがあることから強く反対し、教育基本法の改正の要否と内
容について、さらには子どもの直面する教育の問題解決のための教育改革につ
いて、徹底した国民的議論を行うことを求めるものである。
                                 以上