『日本経済新聞』2006年8月21日付

国立大病院に経営危機 「財政改革」医療の質直撃
交付金削減/経営改善目標・・・現場にしわ寄せ


 法人化されて三年目になる国立大学で、付属病院の経営問題が深刻な課題に
なっている。岐阜大学の黒木登志夫学長に寄稿してもらった。

 岐阜大学長 黒木登志夫

 最近、大学病院に行かれたことがおありだろうか。相変わらず、待合室には
たくさんの患者さんがあふれ、医師、看護師は忙しそうに診療に追われている。
人々は、最高の医療を、時には残るただ一つの可能性を求め、学生は高度な医
療教育を受けるために、大学病院に集まってくる。一昔前「白い巨塔」と呼ば
れたこともあったが、今では最も良心的な医療を行う医療機関の一つと言って
もよい。

 法人化が発端

 だが、その国立大学付属病院が、破綻の危機に面している。はた目には健康
に見える人の体内で少しずつ病気が進んでいるように、一見活発に見えるが、
国立大学付属病院は深刻な病におかされている。

 病名は「経営危機」、病因は医療と教育の重要性を考えない一律の「財政改
革」。余命数年という深刻な状況であるが、世間の人たちは誰も気づいていな
い。政府は気づいているに違いないのだが、あえて動こうとしない。このまま
では、手遅れになるばかりだ。

 ことの始まりは、国立大学の法人化である。教育改革を建前として始まった
法人化は、次第に行政改革と財政改革の色彩を強くしてきている。その中にあっ
て、付属病院は最も大きな影響を受けた。国立大学時代の病院建設、医療設備
への投資に対して、法人化した大学が償還義務を負うことになったのである。
国立大学八十七校中四十二大学が付属病院を有しているが、その負債総額は、
法人化発足の〇四年時点で一兆十億円に上る。岐阜大学の場合、病院を新築移
転したため、負債総額は五百五十七億円に達する。

 これだけの借金を抱えた病院は、国立時代のやり方ではとてもやっていけな
くなった。大学病院は「企業的経営」原理を導入し、それぞれ必死で、経費削
減、収入増に取り組んでいる。しかし、それにも限界がある。法人化後二年四
カ月を経た今、その危機的状況は隠しようがないところまで来てしまった。

 減っていく財源

 その原因は、一%、二%、三・一六%、そして五%という四つのキーナンバー
で象徴される財政改革である。

 一%は、運営費交付金に対する効率化係数である。国から一括して渡される
運営費交付金は毎年一%ずつ減額される。二%は、経営改善係数、すなわち、
病院の債務返還分を含めて交付金が配分されているときに課せられる経営改善
のための数値目標である。経営改善係数により、病院収入の二%、岐阜大学の
場合は二・一億円ずつ交付金が毎年減額され、その分収入増を図る必要がある。
実質的な返済額(元利合計)は、〇五年度七・五億円、〇六年度九・六億円、〇
七年度十一・七億円、〇九年度には一五・八億円に達する。

 経営「改善」という名前であるが、この係数が経営「改悪」の大きな原因と
なっている。

 収入をあげるためには、医療材料費などの経費がかかるし、人件費も必要で
ある。二%というが、実際には三・三%収入が増えないとノルマを達成できな
い。その上、医師、看護師など医療スタッフは、労働強化を強いられる。

 経営改善係数は過酷な制度であるが、我々は医療スタッフの努力により〇五
年度は乗り切った。第一期中期目標期間中も何とかしようと頑張っていた矢先
に、さらに新たな壁が現れた。次に述べる三・一六%である。

 〇六年度から医療費が三・一六%節減されることになった。国立大学付属病
院にとっての悲劇は、経営改善係数にこの医療費削減政策が重なったことであ
る。収入が三・一六%少なくなった上に、経営改善係数の義務を果たし、合計
六%以上の負担に耐えることは、現実的に不可能である。

 国立大学協会によると、〇五年度に大学予算を病院につぎ込まざるを得なかっ
た大学は、ほぼ一〇%の四大学に上る。〇八年度までにほとんどの大学が、病
院のために大学の予算を削らざるを得なくなるだろう。

 大学のお金をつぎ込むのは当然と思うかもしれない。しかし、問題は金額で
ある。大学予算の三分の一を占める病院の赤字は、規模の小さい学部など簡単
につぶしてしまうほどなのだ。教育経費はゼロになるかもしれない。大学病院
の病巣が大学全体に波及するところまで来ている。

 五%は、五年間の人件費削減目標である。加えて、〇七年度から、高度先進
医療のためには、これまで患者十人に対して一人の看護師体制が七人に一人に
増員されることになった。人件費を削減しながら、どのように医療の質を保証
すべきか、われわれは悩んでいる。

 高度医療も困難

 わが国の医学教育と医療の要とも言うべき国立大学付属病院の危機は、あら
ゆる所に及んでいる。臨床研究の論文は明らかに減少しているし、高度医療も
機器の更新も困難になった。何よりも深刻なのは、これから病院を再開発しよ
うにも不可能に近いことである。このまま放っておけば、結局は国民が不利益
を被ることになる。

 大学改革の先頭に立つ学長として、行政改革・財政改革の意義は十分に理解
している。しかし、教育と医療の重要性を考慮しない改革は、わが国の将来に
大きな影響を残すことは明らかである。

 大学経営に責任をもつ者として、せめて経営改善係数だけでも今年度限りに
してほしい。この係数のため節約できる国家予算は八十二億円である。八十二
億円のために全国の国立大学付属病院、ひいては国立大学を次々に破綻に追い
こんでよいのだろうか。破綻した病院を救済するためにははるかに多くの予算
が必要になる。

 国立大学付属病院が「白い廃墟(はいきょ)」とならないよう、政府と国民
のご理解をお願いしたい。