【議事録耽読 国立大学法人評価委員会(その2)】
御手洗冨士夫氏の国立大学観
−国立大学法人評価委員会委員としての言動を追う−

2006年8月31日
国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局
評論員 βω

要旨

「大九州大学」なる構想を公言し始めた日本経団連の御手洗冨士夫会長は、かつて、
国立大学法人評価委員会の第1期委員を務めていた。御手洗氏のこのような国立大学
観の国立大学法人評価委員会の活動への反映の程度の測定が、本稿の目的である。御
手洗氏の国立大学法人評価委員会の総会や分科会への出席は2005年度は皆無である一
方、2004年度までの会合では、大学出身の委員の意見に対立する主張を御手洗氏はし
ばしば述べてきた。国立大学法人評価委員会の席での御手洗氏の主張は、総じて、委
員の多数に受け入れられているとは言えない。とはいえ、第1期で任期を終えた御手
洗氏を初めとする産業界による、国立大学法人評価を通じた国立大学への介入に警戒
を怠ってはならない。

目次

1.はじめに
2.数値指標
3.御手洗委員の発言 −御手洗委員は国立大学法人の立ち上げに何を求めてきたか−
 3.1. 総会(第1回)・分科会(第1回)
 3.2. 分科会(第2回)・総会(第2回)
 3.3. 分科会(第3回)
 3.4. 総会(第5回)
 3.5. 総会(第7回)・分科会(第5回)
 3.6. 御手洗委員の全発言のまとめ
4. むすびにかえて −御手洗委員が評価委員会に残した足跡を追って−


1.はじめに

日本経済新聞2006年8月13日付によれば、日本経団連の御手洗冨士夫会長は、日本の
研究・開発力強化策として「国立大学の統合による資金と人材の集中が効果的」と
述べたと報じられている。そのうえで、「たとえば、九州7県の国立大学を、科目ご
とに統合して集中すれば充実する。少しずつ予算を分けるより、一つに集中できれ
ば、さらに高い次元の研究開発が可能になる」と語った、とされる(注)。

産業界の実質的な中心人物が国立大学のあり方、とりわけ「資金と人材」について述
べた点において、これらの発言を我々国立大学関係者は黙過できない。しかも重要な
ことは、彼は国立大学法人評価委員会(以下、「評価委員会」)の第1期(2003年10
月〜2005年9月)委員の一人であり、このような産業界の要望に依拠して御手洗氏が
国立大学法人評価と評価委員会の活動に当たってきた可能性が、この発言によって改
めて示唆されたことである。

評価委員会は、国立大学法人法第九条において、「2 評価委員会は、次に掲げる事
務をつかさどる。一 国立大学法人等の業務の実績に関する評価に関すること。二
その他この法律によりその権限に属させられた事項を処理すること。」とその職務を
規定された機関である。加えて、国立大学法人評価委員会令は「第二条 委員は、大
学又は大学共同利用機関に関し学識経験のある者のうちから、文部科学大臣が任命す
る。」とした。この規定は、国立大学法人法案が参議院文教科学委員会で採決された
際の附帯決議「九、国立大学法人評価委員会の委員は大学の教育研究や運営について
高い識見を有する者から選任すること。評価委員会の委員の氏名や経歴の外、会議の
議事録を公表するとともに、会議を公開するなどにより公正性・透明性を確保するこ
と。」と、文面上は対応している。

御手洗氏は既知の通り経済人であり、国立大学法人法案の国会審議当時は一橋大学の
学長だった石弘光氏の憶測に反して(資料1)、「大学人」ではないにもかかわらず
評価委員会委員に就任した。だが御手洗氏が、国立大学法人評価委員会令のいう「大
学又は大学共同利用機関に関し学識経験のある者」であったか否か、また石氏の憶測
に見合う「大学をよく知っている人」であったか否かの評価は、御手洗氏の評価委員
としての活動の検討によって自ずと決まる。

本稿は、御手洗氏の評価委員会における言動を、この機会に追尾することが目的であ
る。御手洗氏が冒頭のような意思を公言しているならば、このような言動の評価委員
会の活動への反映を、我々国立大学関係者は適切に把握しておく必要がある。

この目標の達成のために必要な分析の対象とする資料として、拙稿では文部科学省の
ホームページに公表されている評価委員会の議事録・配布資料及び議事要旨を用い、
他を一切用いない。


2.数値指標

2003年10月1日に施行された国立大学法人法に基づく評価委員会は、同日付で委員名
を公表した(委員の選考基準ならびに選考過程は、少なくとも評価委員会の議事録・
配布資料等によっては明らかにされていない)。この中に御手洗氏の名は「キヤノン
株式会社社長、社団法人日本経済団体連合会副会長」との肩書きとともに見出され
る。また第1回総会において、御手洗氏は評価委員会の国立大学法人分科会に所属す
ることが確認された。御手洗氏の評価委員会における活動を、まず数値指標としてお
さえておく。

第1期評価委員会は、2003年10月31日に第1回総会と各種分科会を開催して活動を始
め、2005年9月16日の第11回総会でもって委員の任期が終えられたものとされる。こ
の間、御手洗委員が所属した国立大学法人分科会(以下、「分科会」)は計6回、ま
た評価委員会総会(以下、「総会」)は計11回が開催されたが、御手洗委員は分科会
では第4回、第6回以外の計4回、総会は第3回、第4回、第6回、第8回、第9
回、第10回、第11回以外の計4回に出席している。分科会は毎年各2回開催され、
2004年の第4回は第6回総会と同日程で開催されたため、御手洗氏は第4回分科会と
第6回総会の双方に欠席となっている。一方、総会は第8回(2005年3月)以降、御手
洗氏は一貫して欠席していることになる。したがって、任期を通しての出席率は、分
科会が67%、総会が36%であるが、2005年度の総会、分科会への出席率はいずれも
0%である。

更に、2005年度に行われた年度評価では国立大学法人は地域ごとに区分され、委員等
によって構成される評価チームの分担によって評価作業が進められたが、御手洗委員
はこの評価チームに参加していない。もっとも、委員でありながら評価チームに参加
していないメンバーは他にも、阿部博之委員、後藤祥子委員、鳥居泰彦委員と、計14
名の委員のうち御手洗委員を含めて4名おり、突出したものではない。

数値指標の導出によって明らかになったことは、御手洗委員は評価委員会の2003年10
月の発足以来の委員として、2年の任期のうち2004年度末までの1年半がその実質的
な活動期間であったということである。興味深いことには、御手洗委員は2005年度の
約半年間の残された任期に委員としての活動を停止していることになるが、委員はそ
もそも辞任が可能なことである。現に第1期評価委員会の発足時に16名だった委員も
年度評価の際には14名となり、2005年4月26日の第9回総会以降に新規に加わった委
員さえ2名いる以上、御手洗委員は委員としての活動を2004年度末に停止すると同時
に辞任してしかるべきであった。

なお、2005年10月からの第2期評価委員会の中に、経済団体の役員の肩書きをもつ委
員は見出せない。このような、御手洗委員ならびにその後継者、産業界の評価委員会
への関与の仕方を図らずも推察することが出来る。すなわち、少なくとも国立大学法
人体制の発足過程においては、国立大学法人の設計や性格などに対して相応の関心が
払われたにせよ、年度評価においては特段の関心を払うに及ばないとみなされている
としても、それは強ち誤った推察とは言えない。現に、委員としての職務をまっとう
せずともその名は委員会の名に残し、産業界からの委員の後継者を出してもいない経
緯に、そのような姿勢が読み取れる。

だが、このような姿勢を産業界の国立大学法人評価への恒常的な無関心、国立大学の
将来への「見切り」を表すものと読み取る根拠と理解するには、なお躊躇せねばなら
ない。現に、第1期中期目標期間の終わる2009年度末は、2009年秋からの第4期評価
委員会のもとで迎えられることになる。国立大学法人の統合を指向した発言をする御
手洗氏もしくは産業界にとっての重要な時期は、評価委員会が中期目標期間の終了を
控えての本格的な活動を始めると思しき2007年秋以降(第3期評価委員会体制のも
と)である可能性がなお残る。

ここで、拙稿は数値指標に基づく御手洗委員の委員活動の評価から、御手洗委員の発
言の分析へと歩を進めることにする。


3.御手洗委員の発言 −御手洗委員は国立大学法人の立ち上げに何を求めてきたか


本章では、御手洗委員の評価委員会における発言を追尾する。

3.1. 総会(第1回)・分科会(第1回)

第1回の総会ならびに分科会(2003年10月31日)は、委員長や分科会長の互選と規則
の確認が主たる内容となっており、御手洗委員の発言は議事録には記されていない。

3.2. 分科会(第2回)・総会(第2回)

第2回の分科会(2003年12月18日)では、国立大学法人の中期目標・中期計画の素案
について、審議されている。事務局ならびに分科会長(椎貝博美委員)からの報告を
経て、議論はまず「『中期目標・中期計画について』文部科学大臣に対する評価委員
会としての意見(検討のためのたたき台)」の次の文に集中する。

「1 検討の前提
(1)国立大学がこれまで果たしてきた役割についての当委員会の認識
 国立大学は、今日まで我が国の教育研究水準の向上、学術研究と研究者等の人材養
成の中核としての役割、全国的に均衡のとれた配置による地域の教育、文化、産業の
基盤の構築、経済状況に左右されない進学機会の提供など、重要な役割を担ってき
た。
 これらの使命は、法人化それ自体によって変わるものではなく、むしろ、各大学ご
とに期待される使命の明確化とその確実な実現が従来以上に強く期待される。」

この文に対する阿部博之委員の発言が

「○阿部委員 1ページだけ少し申し上げます。最初に国立大学がこれまで果たして
きた役割についての当委員会の認識ということがありますが、(1)のところが大変
難しいのです。全国的均衡の取れた配置による利益というのを除きますと、私立大学
でも県立大学でもほとんど当てはまってしまうのですが、そういう文面で良いのかど
うかということが大変気になります。」

と、国立大学の全国的均衡の取れた配置に理解を示したのに対し、御手洗委員の発言
はこれを批判する。

「○御手洗委員 …良く分からないのですが、これ全国的に均衡の取れた配置による
と書いてありますが、国立大学は全国で87校あるわけですよね。どういう意味で均衡
が取れたというのですか。要するに、何の産業もないところに大学があるわけですよ
ね、87校全部挙げますと。むしろ私は選択集中したほうがいいと思うのですが。レベ
ルを上げて、今交通機関が発達したITの時代に、全国万遍なく置く必要はないのでは
ないかと思います。」

御手洗委員の発言の論点を整理すれば、
・産業のない地域における国立大学の存在の問題点の指摘(87大学の選択集中を要
望)
・IT時代における大学の偏在の必要性の構想
である。

このように見れば、2006年8月の御手洗氏の発言の骨子は、この2003年12月の分科会
での議論における第一回目の発言の中にすでに展開されていることがわかる。

加えて、山本清委員が

「○山本委員 経済状況に左右されない進学機会の提供というのは、これはやはり評
価の問題でも財政に関わる問題、授業料問題と実は非常に密接な関係があるわけでし
て、国立大学の授業料を適正な水準に維持するということの支えなり、或いは財政を
どう考えるかと見る場合おいてこの文言はやはり入れたほうが、少なくとも国立大学
法人の発展のためには、対私立大学との関係はとりあえず置きますと、非常に重要な
文言ではないかというように思っております。」

と私立大学と比較して低廉な国立大学の授業料の重要性を踏まえた発言を受けて、事
務局もこれを肯定的に受け止める発言を続けたところ、御手洗委員の続く発言は、

「○御手洗委員 これから先長期的に考えているときの基本的な考え方なのですが、
地方における国立大学の役目というのはこういうように安い教育を全般的に提供する
という役目だけに、重点をおきますと疲弊していくと思います。それよりは地方にア
メリカの大学のように非常に特色があって、そこのある学術については日本一で充実
していて、東京からでも学生がわざわざそこに行くと。端的に言いますとそういう形
の地方の国立大学を発展させる気はないのかどうか。単に月謝の安い全般的な教育を
提供するための国立大学の地方における任務とすると、10年、20年先にはおそらく小
学校みたいになってしまうのではないかと思いますが。参考意見として。」

と述べている。「参考意見として」とわざわざ付け加えられている理由は、御手洗委
員の発言が国立大学の教育研究内容にも言及している可能性があり、評価委員会の権
限を越えた内容となっていることを自覚しているためである可能性がある。とはい
え、「10年、20年先にはおそらく小学校みたいになってしまう」との脅迫は大人気な
いが、論点として各国立大学の特色化と安い授業料という背反しない事項を無理に背
反させる議論を展開させる以上、説得力を欠く議論を脅迫によって補完しようとする
論法も不可避だろう。

議事録を読む限り、国立大学の役割をめぐる分科会における議論では、総じて、御手
洗委員の主張は他の委員の賛同を得られていない。次の発言は、そのことを当人も自
覚していることを推察させる。

「○御手洗委員 一言で言うと変わることを期待しているのです。法人化に何を期待
するかというと変わることを期待するのです。それだけです。」

しかし、続く、「国際競争力」を持てる大学と地域としての特色を持てる大学との分
離に関する議論では、奥山章雄委員の指摘を受ける形で、分科会長と御手洗委員は相
次いで発言している。

「○分科会長 ありがとうございました。重要な指摘と思います。私が勤めました外
国の大学ですと、国際競争力を持つ大学と地域の充実を図る大学とは全く違うので
す。

○御手洗委員 非常に大事だと思うのです。この国際競争力とは非常に大事で、是非
世界に冠たる大学を幾つか作ってもらいたいと思います。ここに改善すべき点が多い
と反省されているのは非常に良いと思うのですが。」

相次ぐ賛同の意見は勢いを感じさせるが、「世界に冠たる大学を幾つか作ってもらい
たい」とは誰に対する要望か。奔放な発言ではあるが、願望の弁論に過ぎず、委員と
しての職務との関係の理解に苦しまざるを得ない。ただし、この論点は後日の審議に
おいてやや具体化される。

議論はこのあと、文部科学大臣が行う中期目標・中期計画の素案の修正についてへと
進んでいくが、御手洗委員の発言は記録されていない。この分科会における御手洗委
員の発言は、上記の計四回である。

尚、分科会において御手洗委員と言説の符合する数少ない委員の一人の発言を、以下
に列記しておく。

まず、御手洗委員の第一回の発言に先立つ発言は、国立大学の役割としての「経済状
況に左右されない進学機会の提供」の記述は不要、とする発言である。

「○南雲委員 私はむしろ経済状況に左右されない進学機会の提供はカットしたほう
が良いと思うのです。と申しますのは駅前大学とか言われて、上に全国的に均衡の取
れた配置による地域の教育となっていますので、また念押しをして左右されない進学
機会の提供というよりはむしろ学術研究とか、研究者の人材養成ということが目的で
あり、産業基盤の構築など重要な役割を担ってきたということが重要と思うのです。
経済状況に左右されない進学機会の提供というのは1つの家族から見れば左右される
可能性もあり、そして地域が疲弊化してくればまた地域の経済にも左右されていると
思うのです。このため、あえて書かないほうが良いのではないかというのが私の意見
です。」

ついで、国立大学の各県への配置が「画一的で、標準的で全く特色のない」国立大学
を生む、とする発言である。

「○南雲委員 間違いが書いていると私は思わないのですが、他の例を見ても、これ
まで国土の均衡ある発展という形で来たのが、今は個性あふれる街づくりとか言っ
て、それぞれの地域に特性を持たせ、活力ある地域社会を復活させようと言うので
しょう。ですから私はなぜ大学を法人化させるかといったらそういうことだと思いま
す。全国的に各県に置こうということは、画一的で、標準的で全く特色のないという
見方もできるのでしょう。しかしこれからは国際競争力をつけるためには、特色ある
大学を作っていくのだということなので、何か整理の仕方をちょっと変えてもらった
方が私は良いかと思っているのです。言っていることは間違いではありませんが、こ
れからなぜ法人化をしていくかという認識と、それを受けてどうするかということを
セットで考え、もうちょっと未来型の認識もしておいた方が良いのではないかと私は
そう思います。」

この発言の後に御手洗委員の第三回の発言が続く。南雲光男委員のこの日の分科会に
おける発言は、上記の二回である。「日本サービス・流通労働組合連合常任顧問」の
肩書きを持つ南雲委員は現在、第2期評価委員会委員を引き続き務めている。

同日に催された第2回総会には、御手洗委員は出席したとされるが、発言の記録は残
されていない。

3.3. 分科会(第3回)

第3回の分科会(2004年1月21日)では、中期目標・中期計画の素案の具体的な修正
について、議論が進められている。

まず、第2回の分科会で検討された「『中期目標・中期計画について』文部科学大臣
に対する評価委員会としての意見(検討のためのたたき台)」は、この日の分科会の
資料として「『国立大学法人の中期目標・中期計画(素案)について』文部科学大臣
に対する国立大学法人評価委員会としての意見(案)」へと修正されるに当たり、第
2回の分科会での事務局の発言、

「●事務局 (略)国立大学の役割としては、やはり重要な役割の1つとしては民間
ベースで必ずしも大学の立地が容易でないといったようなところにおける教育研究の
拠点、或いはその地域の拠点と申しますか、基盤的な役割を担うということは、必ず
しも各県毎に全てなくてはならないという意味合いではなくて、高等教育全体の、日
本全体としてのバランスを考えながら整備をするということ自体は今後とも私どもと
しては国立大学の役割としてあるのかなというように考えているということです。こ
れはあくまで私ども文部科学省としての現時点での考え方ということですから、この
評価委員会としてあえてそこまでのことは書く必要がないというお考えは十分ありう
るだろうと思いますので、その点はまたご検討頂ければ大変ありがたいと思っており
ます。」

を踏まえ、結果として「意見(案)」では「均衡」論が削除される。御手洗・南雲両
委員の発言が功を奏した結果となる。

このような成果を踏まえてか、御手洗委員はこの日の分科会では計七回の活発な発言
を展開している。

御手洗委員が発言を集中させるテーマの一つは、第2回の分科会での議論に引き続
き、「国際競争力」である。以下のように、野依良治委員の発言を発端に、御手洗委
員と同じく産業界を母体とする小野田武専門委員と野依委員との発言の応酬の中で御
手洗委員も発言する。

「○野依委員 (略)国際競争力というのはちょっと何か偏っているかなと。つまり
国立大学の素案を見ますと、本当に国際競争力を持ちうるかどうか。お伝えしたいこ
とは国際的な水準の研究を行う、またしっかりした教育を行うということだろうと思
うのです。競争力があるというと、何か尺度というか、何か軸がないといけません
し、特に教育系の大学であるとか、或いは人文社会系のような大学を国際的競争力と
いうのはちょっとなじまないかなという気がするのです。もちろん自然科学系の教育
と研究は国際競争力を持たなければいけないと思いますが、少し表現を、国際的水準
を満たす教育研究を行う等にする。競争力というと何かギスギスしすぎる。つまり何
をもって国際競争力というか、例えば学生を取り合ってシンガポールから、或いは韓
国・中国からアメリカと競争して学生を取ってくるとか、それも1つの競争力であ
り、そういう大学もあって良いと思うのですが、そのような意味ではなく、どう表現
したら良いか少しわからないのですが。

○小野田委員 野依先生の発言も良くわかります。ただ考えようによっては国際競争
力がない大学は国立大学である必然性が何かありますかという厳しい問いかけもきっ
とあるかもしれないです。

○野依委員 例えば国際的に存在感があるとか、そういうことであれば良いのではな
いかと。人文・社会学系の先生方にむしろお聞きした方がよろしいのですが、競争力
という言葉は立派な大学の、理科系の学部については良くなじむと思うのですが。

○分科会長 いかがでしょうか。

○鳥居委員 今野依先生のお話を聞きながら思い出すのは、外国の国際競争力につい
ての教育改革の指導者達の表現で、中でも一番良くわかるのはサッチャーの表現で
す。彼女は1988年法という教育法を制定する一年前の保守党大会でこんな風に言って
いるのです。教育と研究の各分野の水準を高く維持することが、イギリスの国として
の国際競争力の根源だと。それを支えているのが国立大学だと。先生がおっしゃって
いることが私にはそういう風に聞こえるのですが、そういうことなのではないでしょ
うか。

○野依委員 つまり1つ1つの大学が同じ土俵の上でしのぎを削って、外国の大学と競
争するのが良いのか悪いのか。我が国の大学システムが全体として国際競争力を持て
ば良いのではないかと思います。そうでないと全ての大学がやはり皆金太郎飴的にな
ることをちょっと恐れるのです。おっしゃることは非常に良くわかるのですが、表現
の問題だろうと思います。

○小野田委員 私自身もともと根っからの産業人ですので、鳥居先生の方から非常に
わかりやすいお言葉を頂きました。現実にそうですが、要はこれからの社会、国際的
な競争力が総力戦になっていると。日本で言えばあらゆるファンクションが国際競争
力ということを意識して、やはり国として向かっていかないと、国民を幸福な状態に
持っていくのは相当難しいだろうと思います。それだけに心としてはわが国の国際競
争力に資する大学作りになってほしいと、その言葉をさらに短縮したらこれになった
と言うのが実は本音です。
ですから総力戦の1つの機能として、特に国立大学は意識して頂きたいと。そうい
うことは申し上げてもよろしいのではないかという、そういうイントロダクションで
す。

○御手洗委員 自分の立場から、非常に端的に言いますと、国際競争力という言葉は
別として、私は工学部とか自然科学とかそういう立場で言っていますが、例えば実験
装置は色々な設備にしてもやはり日本の大学に世界的な規模とか、誇れるような設備
とか、全部でなくても良いですが、ある学問の分野においては世界一の水準を有する
国立大学であって、それを求めて全世界の学生が、教授が来るというような大学が
あっても良いのではないかと。全部とは言いません。そういう意味で国際競争力とい
うものを、私たちは捉えておりますが。

○分科会長 ありがとうございます。議長からで恐縮ですが、もしくは国際的な魅力
のあるという表現もあるのではないでしょうか。例えば「お能」ということになれば
別に国際競争力ということになれば独壇場になりますが、それは魅力です。だからそ
んな風な魅力という言葉を付け加えるとか。筑波にもたくさん留学生がおりますが、
やはり「お能」だとか、そういうものをきちんと習うという学生もたくさんいます。

○御手洗委員 教育の内容そのものが違うからかも知れませんが、技術系の大卒を採
用してもきちんとした実験をしたことが無いというのが実情です。学力がだんだんと
低下している。それで社内留学でアメリカの大学などに派遣すると、その大学の設備
に驚いて帰ってくるわけです。そういうことも1つの切り口ではないかと思うのです
が。」

椎貝分科会長の、一連の発言の応酬に噛み合わない発言を無視すれば、御手洗委員も
絡んでの発言の応酬は小野田委員とともに、産業を中心とした国際競争力の「総力
戦」の一翼としての国立大学の機能を、教育研究の成果と人材育成との双方に求めて
いる、と要約することが出来る。その際、野依委員が「我が国の大学システム」が全
体として国際競争力を持てば良いとするのに対し、御手洗委員は個別の大学にその役
割を求めている点、すべての大学にそのような役割を求めてはいないとする点が特徴
的である。尚、個別大学における、学生の学力低下の問題と、教育研究の「国際競争
力」とを一気呵成に論じるには無理がある。

この論戦はこのまま、次のような形で幕引きを迎える。

「○南雲委員 一流と言いますか、国際競争力というのは悪くはないのですが。では
競争力があるというのは何を目的にしているかということになると、国際社会から評
価されるとか、信頼されるとか。評価される・信頼されるとはどういうことかという
と、国立大学に留学生が増えるということでしょう。それが国際競争力という市場経
済のメカニズムの表現なのです。企業人も我々サラリーマンも理解はできるのです。
ですから競争力というのが大学、学問では何かと言うと、国際社会から信頼される、
或いは愛されると言いましょうか、尊敬される。そういう意味のね、それが結果とし
て人材を社会に輩出すると、国際競争力にうって勝つと。例えばIT関係の技術者は今
インドにいます。それから韓国とか。日本は、北海道大学とか少ないのです。そうす
ると企業もそちらに工場を移してそちらで採用する。単にコストが安いだけではない
のです。人件費が安いだけではないのです。人件費が安いということもあるのです
が、むしろ人材がいるからそちらに行って工場を作ってやると。そういう意味なの
で、僕も少し目を覚ます意味では国際競争力くらいの表現をした方が良いのかなと思
うのですが、もしそういうことであればもう少し鳥居先生がいったような表現をミッ
クスさせても良いのですが。意図は変わらないと思います。

○野依委員 国立大学の資料集の166ページ以降から大学名がずっと書いてありま
す。これらすべての大学が国際競争力ある大学作りを目指しても無理だと思います。
1つ1つの大学全てに強制してもむなしいかなという気がするのです。」

○御手洗委員 私は全部の大学が国際競争力を目指すというときはイメージとして同
じ分野の教育・研究を全国立大学が国際競争力を競っているという意味では捉えてい
ないのです。ある大学はこの分野、ある大学はこの分野というようなイメージでいっ
ているわけで、同じテーブル、同じテーマで全大学が全部国際競争力を持つべきなん
てそういうイメージで私は言っているわけではありません。」

○分科会長 それでは今の野依先生の意見が中心になると思いますが、趣旨はこれで
結構だと。ただ表現については色々な立場の方もおられますし、修正が必要だと思い
ます。」

御手洗委員のこの三回目の発言では、野依委員が繰り返し述べる、全大学への国際競
争力の強制への懸念に対し、妥協的な文言を述べている。しかし一回目の発言で「工
学部とか自然科学とか」と対象を限定して意見を展開している以上、個別大学に尚、
この分野での国際競争力の涵養を強制する意図を引き続き有していると、この一連の
発言の応酬から読むことが出来る。

ついで御手洗委員が集中的に発言するテーマが、「産学連携」である。御手洗委員の
以下の二度の発言の間に他の委員の噛み合わない発言が挟まれるが、御手洗委員の願
望は、産学連携を中期計画の中に記載させ(中期計画は文部科学大臣による認可の対
象であることを想起されたい)、中期計画の達成度を評価する際に産学連携の実績を
積極的に評価する姿勢を評価委員会に求めたものである。

「○御手洗委員 全体についてということで質問なのですが、これから法人化されて
非常に行動が自由に出来るであろうと我々思っているのですが、例えば企業との共同
開発とか、コンサルティングだとかそういうことが今まで以上に自由度があると期待
しているのです。そういう場合にやはり大学の中期計画とそういった企業の希望とか
研究テーマとか、共同するための教育展開とか、そういったものと中期計画との接点
というものはあるわけですか。」

「○御手洗委員 とにかく私の立場から言えば産学連携というのは1つの大きな企業
側から見た大きなテーマなのです。そのテーマと中期計画の評価がマッチしていない
と産学連携はうまくいかないわけですよね、その分野についていえば。その心配から
こういう質問をしたのです。」

御手洗委員の歯切れの悪い発言に対し、野依委員による論題の整理によって御手洗委
員の、我々には看過できない真意が導き出される。

「○野依委員 御手洗委員がおっしゃったことは中期計画にきちんとそういうことが
書いていないから、中期計画に拘束されて産学連携がうまくいかないということをご
心配なのでしょうか。

○御手洗委員 そこまでということではなくて、産学連携の小さな単位のテーマが、
中期計画に記載されないばかりに、うまく評価されないことにでもなれば、大学はや
る気が起こらない、産学連携も発展していかないと思うわけです。純然たる質問で、
そういうことも評価の中に含まれていますかということです。

○野依委員 それは含まれているのではないでしょうか。またその評価というのは自
己点検・評価を一番基にしてなされるわけですから、そこで各大学法人でそこのとこ
ろは誇るべきであるというようにお考えになれば、それをきちんとお書きになって、
それを受けてピアレビューがなされるのだろうと思うのです。大学の性質によると思
いますが、非常に重要な評価だろうと思います。やはり自己点検が基本になると思っ
ておりますので、本人が良いと、やったということはうんと主張して頂くことが一番
大事だろうと思っています。

○御手洗委員 結構です。ただ私が心配したのは、産学連携として企業がやってもら
いたい技術のニーズというのは、必ずしも学問的に高いとは限りませんので、そこは
しっかりと実績として評価されるべきだと申し上げたかったのです。」

御手洗委員の発言は、企業からの、学問的にレベルの高くないニーズに対しても大学
が産学連携として積極的に取り組み、その実績が評価されるよう、中期計画の中に産
学連携を大学が位置づけるよう要求しているのである。繰り返しになるが要約する
と、御手洗委員は、四番目の発言では企業の希望や研究テーマを国立大学法人の中期
計画との間に接点を持たせよと、五番目の発言では企業側の産学連携に対するテーマ
に中期計画の評価をマッチさせよと、六番目の発言では産学連携の小さな単位のテー
マでも評価される体制を、そして七番目の発言では学問的にレベルの高くない産学連
携に対しても積極的な評価をと、いずれも御手洗委員の願望・要望が述べられてい
る。この議論の前段で御手洗委員は、国立大学が国際競争力を持たねばならないと述
べていたばかりである。野依委員の言及する「ピアレビュー」に抗して、テーマの小
さい、あるいは学問的にレベルの低い、大学人が中期計画に記載する必要を感じない
産学連携であっても、記載させ、その実績をあげさせ、評価する体制の構築と国際競
争力の強化とが、国立大学法人に対する御手洗委員の要望となっている。またそのよ
うに産学連携に邁進する役割が、御手洗委員の構想する国立大学に求められている。

総じて、第3回の国立大学法人分科会における御手洗委員の発言は、第2回の分科会
におけるそれと比較して、粗雑さが除去されたことにより願望がより率直に、畳み掛
けるように述べられている点が特徴となっている。その内容においても、あからさま
に教育研究内容への介入が見られた第2回の分科会における発言に対し、「国際競争
力」や「産学連携」など、既成の概念の枠の中で産業界の要望を述べるスタイルが第
3回の分科会における発言の中では踏襲されている。

3.4. 総会(第5回)

第5回の総会(2004年5月11日)は、国立大学が法人化されて初の総会である。この
総会で、御手洗委員は計四回発言している。

そのうち3回は、「理事長」(ママ)や学長の海外からの招聘に関連した質問と要望
事項になる。

「○ 御手洗委員 質問させていただきます。現在民間では、人材の国際的な流動性
が高まっており、ご存知のように、海外の経営者が日本の企業のトップに就任すると
いったことが普通に行われるようになっております。今回の役員報酬規程はかなり長
期にわたって法人としての国立大学の運営を規定していくことになると思いますの
で、その間には大学でも同様のこと、つまり、理事長や学長を海外から招へいすると
いったことも望まれるようになるのではないかと思いますが、そうしたことは可能な
のでしょうか。

● 事務局 それは可能です。

○ 御手洗委員 優れた人材を海外から招くためには、その人材の能力や実績に応じ
た報酬、また、就任後の権限の範囲などを個別に設定できる必要があるのは民間では
自明のことであります。そうした視点から先ほどご説明いただいた規程を考えます
と、あえて言えば、未だ法人化以前の「国家公務員的」なルールから大きく脱してい
ない印象が否めません。グローバリゼーションの中で大学が優れた経営者としての学
長や理事長を必要としていくならば、規程はより柔軟なものであることが求められる
と考えます。

● 事務局 これは法人化のスタート、第一歩ですので、国家公務員制度から引き続
いているようなところはあろうかと思います。全体的な給与規程自体もそうですが、
今後法人が法人にふさわしい制度をどのように考えていくべきかという本格的な議論
はあろうかと思います。ただ、現時点においては、法人がスタートしたところですの
で、例えば業績などが評価されていくのは今後のことでありましょう。スタート時点
で今までの実態と急にかけ離れた形になるということについては、社会的に許容され
るものかどうかと思いますが、例えば外国人や特別な方を学長に招へいするというと
きの長の給与、報酬をどうするかということはその都度改めて定められていくことに
なるのではないかと思っております。

○ 御手洗委員 スタート時点においては、現状をふまえた規程とするのが現実的で
あるという事情は良く承知しております。ですから、私からはお願いとして、学長を
決定するプロセスを含めて、ぜひ広く優秀な人材を大学の経営者として求めることが
できるような、「開かれた」体系に向けて方向づけていただくことを提案いたしま
す。 」

「提案いたします」とは、誰に対する発言か。役員の報酬は各法人が支給基準を定
め、大臣に届け出るとともに公表することが法により義務づけられている、との事務
局からの説明に続いての発言である以上、評価委員会が各法人に対し、役員報酬の増
額を踏まえ、海外からの者を含めた「広く優秀な人材」の大学経営者としての招聘を
促すことを要求していることになる。

御手洗委員のこの日最後の発言は、実績評価、特に年度評価の方法に関わる議論にお
いてである。

「○ 御手洗委員 評価の方法についてのお話しがありましたので、それについて産
業界の立場から一つお願いを申し上げます。国立大学法人化の目的には、大学の自律
性を高めて競争原理を導入すると同時に、産業界との協働、いわゆる「産学官」の連
携を通して日本の国際競争力の復活を実現するということが含まれていると理解して
おります。それには、大学の研究成果が競争力あるビジネスの形で結実することが必
要であり、その前提として、知的財産権の適切な確保が欠かせません。これまで日本
では、一般的に論文を書くことの方が特許を取得することより評価されてきた結果、
日本の大学が有する特許数はアメリカの大学の80分の1にすぎません。今述べました
ような目的を達するためにも、評価の仕組みには取得特許の数やそれらの有用性など
も反映していただきたいと思います。

○ 委員長 はい。ありがとうございます。93の機関の中には様々なものがあって、
少しその内容をきめ細かく見て、特性に応じて細かく評価して欲しいということであ
ろうと思います。他にいかがでしょうか。(略)」

ここにおいて御手洗委員は、国立大学法人化の目的が産学連携による日本の国際競争
力の復活の実現にあると「演説」している。大学の研究成果をビジネスの形で結実せ
よ、そのために取得特許数やその有用性などを評価の仕組みに反映させよ、との要望
は議事録の中で読み込んでも著しく浮き上がった、議論の流れに噛み合わないものと
なっていることが容易に理解される。この発言に続く委員長(野依委員)の、御手洗
委員の「演説」を軽くいなしつつこれを実質的に抹殺する発言がそのことを如実に物
語っている。

3.5. 総会(第7回)・分科会(第5回)

第7回の総会ならびに第5回の分科会は、持ち回り審議により、2005年1月6日から審
議が開始され、同17日に議決された、とされる。分科会の下に「業務及び財務等審議
専門部会」を置き、またこれに付託事項を追加する件が審議されたが、御手洗委員の
特段の発言は議事録には記載されていない。尚、拙稿の執筆段階において、分科会の
第6回以降の議事録・配布資料は公表されていない。第6回の分科会の開催は2005年
8月30日であるから、開催からほぼ一年が経過しようとしている。

3.6. 御手洗委員の全発言のまとめ

第1期をもって評価委員会委員を辞した御手洗委員の発言は上に抜粋したものがすべ
てとなる。それらを大別すれば、国立大学の運営に対する粗忽な要望と、これを実現
するための介入施策の創出の提言とになる。

前者には、日本の産業面のみに着目しての国際競争力の強化へ向けた国立大学法人の
動員が中心に位置し、これに耐える大学・学問分野の選別の許容などが加わる。一
方、後者には、学問的レベルを無視しての産学連携の推進を中期計画と大学評価の中
に位置づけること、などが含まれる。

指摘するまでもなく明らかなことは、御手洗委員の発言には一貫して、国立大学にお
ける教育研究活動の発展やその条件整備などへの思惟を一切欠くことにある。産業界
への奉仕こそが国立大学の役割であると繰り返し発言する御手洗委員の主張は、文部
科学省の敷いたレールに沿って国立大学法人を評価し統制する機関としての評価委員
会の議論の中で、明らかに浮き上がっている。このような事態は、御手洗委員自身に
とっても、また評価委員会にとっても不幸なことに違いない。御手洗委員が委員を1
期で辞したことは結果として妥当と言える。

冒頭の石氏の憶測に改めて言及すれば、いまの国立大学が産業界に十分奉仕していな
い点を熟知しているという意味において、御手洗氏が「大学をよく知っている人」で
はないにしても「大学を多少は知っている人」であったことは間違いなかろう。だ
が、国立大学法人評価委員会令が定める、評価委員会委員の基準であるところの、
「大学又は大学共同利用機関に関し学識経験のある者」という条件を御手洗氏が満た
しているとは言い難いことも、彼が委員を辞した結果を筆者が妥当と述べる論拠の一
つであることは言うまでもない。


4. むすびにかえて −御手洗委員が評価委員会に残した足跡を追って−

評価委員会の席で繰り返し願望を述べてきた御手洗委員は、委員を辞してから約1年
を経て、そのヴィジョンを多少具体化した形で、九州を舞台にして公にした。公にさ
れた彼の国立大学観が、彼が同委員だった時から繰り返し述べてきた願望を基底とす
ることは、評価委員会の議事録の精読から理解できる。逆に言えば、多少の具体化以
外の根幹については新味がないのが、此度の彼の講演・執筆内容である。だがこの多
少の具体化の中で、「法学部、経済学部を九州大、理工学部を熊本大、医学部を長崎
大に集める」といった実在する大学名と学部名とを挙げている点に、大学の選択集中
を図ろうとする彼の真意の強度が投影されている。

評価委員会のレールに乗っていては彼の願望の実現にめどが立たない以上、彼が委員
を辞して、より実効的な手段を選択することは素直である。彼の具体的な大学選択集
中構想は、その具体性ゆえに、また時宜にかなってもいないためか、評価委員会の中
での議論には付せられなかった。委員を辞することにより彼の発言は自由性を増した
が、彼の願望の実現の手段はなお明らかとは言えない。ただ、既に彼は「国立大学法
人評価委員」の肩書きを獲得して放擲した以上、評価委員会の活動を通じて彼の願望
を実現させる条件の一定部分をそこに構築し終えた、と推察することも不可能ではな
い。実際に、既に見たように、国立大学の役割に対する評価委員会の認識の記述自体
を文書から削除し、その過程で「均衡」論を否定した彼の実績は、彼の願望の実現へ
向けた小さくとも一つの礎石ないし一つの踏み跡となっている。評価委員会の性格を
彼の願望に沿ってどこまで構築・変容させたか、この解明は、評価委員会の評価基準
と評価方法ならびにそれらの変化に関する、きたるべき分析の中で明らかにされよ
う。

なおも評価委員会の挙動に言及すれば、彼の願望の実現にとって、評価委員会は単純
な障碍とも言い切れない。その論拠として、評価委員会の中に築かれたと解すべき彼
の「別働隊」の挙動に着目しておく。第2期評価委員会には、御手洗氏の姿も、同じ
く産業界を母体とする小野田専門委員の姿も見られない代わりに、ある委員が第1期
から留任し、跋扈し続けている。この委員は2005年に行われた初の年度評価におい
て、中四国(2)・九州ブロック(鳴門教育大〜琉球大)15校の年度評価に係る評価
チームの主査を務めていた。評価委員会の議事録を精読すれば御手洗氏と国立大学観
を共有できる人物と目することのできる彼の「持ち場」として、御手洗氏がその国立
大学観を具体的なヴィジョンとして展開する舞台とした九州が選ばれていた事実は奇
妙な符合を示している。今年行われる年度評価においてこの委員は、奈良女子大学か
ら高知大学までの12大学法人を担当する。評価チーム名簿の書式を昨年のものと対比
すれば、彼がその評価チームの主査を務めているとの推定は強ち間違いとも言えま
い。そして、第2期評価委員会による「国立大学法人評価委員会による大学等訪問」
への彼の出席率は、全10大学中9大学と他の委員と比較して突出している(唯一の欠
席は、彼が年度評価を担当する大学の一つの訪問時であるのは何故か?)。第1期に
同様に実施された大学等訪問における、全5大学中1大学という彼の出席率と比較し
ても、純然たる職務上の使命感に基づく営為と呼ぶことを躊躇わせる違和感がそこに
はある。

評価委員会における彼の武器は、一方では御手洗氏などとともに、文部科学省による
統制に反発しながら産業界への奉仕を国立大学に要求しながら、他方では文部科学省
による嘘に嘘を重ねての授業料標準額の値上げという局面においては文部科学省に対
する阿諛追従が臆面もなく可能であるというその胆力にある(拙稿「【議事録耽読
国立大学法人評価委員会(その1)】2005年度の国立大学授業料標準額値上げを、国
立大学評価委員会はどのように受けとめたのか?−知的能力を欠いた国立大学評価委
員会と我々はどう対峙するか−」を参照されたい)。彼の跳梁が九州を越えて全国へ
と進みだしている今、御手洗氏の願望成就に向けた次の準備が評価委員会の中でも
「別働隊」を介して進行していると解しておく必要がここにある。

2009年度末に迎える第1期中期目標期間終了時が御手洗氏やその「別働隊」たちの一
つの節目であるならば、それまでの期間に、彼らは評価委員会の中を戦場とし、外で
の講演執筆活動と中での胆力を武器として、正攻法で着々と所期の目標を達成しよう
と務めていることを我々は看過してはならない。

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関連する報道には、他にも『朝日新聞』2006年8月14日付「経団連会長が「大九州大
学」を提唱」、時事通信配信記事 2006年8月14日付「九州の国立大統合を提言=経団
連会長」等がある。また、「文藝春秋」2006年8月号への寄稿「日本経済イノベート
計画」においても同趣旨が展開されている。

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資料1 国会会議録(抜粋)

衆-文部科学委員会-10号平成15年4月23日
○石参考人 (略) それから、例の国立大学評価委員会のメンバーも恐らく大学人
でありますので、それはそれで個々に分解していけば、大学をよく知っている人の評
価であろうと思いますので、完全に満足いかないにしても、それなりの、受け入れる
ぐらいの余地はある、そういう幅で評価がなされると思っています。(略)