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『毎日新聞』2005年12月7日付

理系白書’05:第3部 流動化の時代/6止 可能性求め“新世界”へ
 <壊そう、文理の壁>
 ◇動くリスク、個人に背負わせたまま


 ドアを開けると、懐かしい風景が広がっていた。ある研究室の入り口で、三
浦大樹さん(31)は不思議な感慨にとらわれた。

 三浦さんは、生命科学研究用の分析機器や試薬を扱う外資系企業の社員。顧
客を訪問して自社製品を売り込んだり、要望に合わせて使い方を考える「技術
営業」という仕事だ。この秋、就職が決まるまでは研究者だった。9月を境に、
白衣で営業マンを迎える立場から、スーツで訪ねる立場に変わったことになる。

 「先が見えない状況の中で、自分を必要としてくれる場所を探したんです」。
学生時代は、がんに対する食品の影響を研究し、やりがいを感じていた。博士
論文を終えて就職活動を始めたが、研究職のポストはいずれも不合格。博士の
就職の厳しさを知った。

 任期付きで働くポスドク(ポストドクター)として研究所に籍を置きながら、
今年6月、博士を対象にした就職セミナーに参加した。「研究以外の職種でも
専門を生かせる仕事がある」。新しい世界に興味がわいた。

 スーツを着て通勤する毎日。初のボーナスも出た。今は仕事を覚えるだけで
精いっぱいだが、慣れてくればノルマも課される。研究とは違う緊張感の中で
三浦さんはいま、生きている。

 「固定観念を捨てれば可能性は広がる。博士になるってことは、専門性だけ
でなく仕事の質を高めること。これは研究以外でも使えるなと思う」

 セミナーを開いた人材派遣会社「アールアンドディーサポート」(東京都文
京区)。バイオ業界を対象に、6月と11月にセミナーを開いた。身だしなみ
から履歴書の書き方、自己アピールまで指南し、企業と引き合わせる。大澤裕
樹社長(32)は「博士が欲しい企業は少なくないが、お互いのニーズが合わ
ないために就職難が生まれている。博士自身も自分をよく研究し、柔軟さを持
つことが必要」と言う。

   ■   ■

 やりたいことを研究できる場がない。当時、名古屋大大学院で心理学を研究
していた馬塚れい子さん(48)が直面した難題だった。

 馬塚さんは、人の言語獲得プロセスに興味を持っていた。名大では、心理学
は文系の「文学部」にあったが、学科や講座は「心理学」「フランス語」「英
語」などに細分化され、馬塚さんのテーマにぴったりのものは見当たらなかっ
た。

 結局、馬塚さんは米国留学を選んだ。米国では、心理学は文系でも理系でも
ない領域で、研究がやりやすい。言語獲得を日本語と英語で比べる研究で博士
号を取り、米デューク大の助教授に就いた。研究実績を積んで審査を受け、終
身雇用権も獲得できた。

 研究者としては「成功」である。しかし馬塚さんは安住しなかった。「英語
との比較だけではなく、日本語に集中して研究したい」

 日本での研究拠点を探したが、文学部ではやりたい研究ができる保証はない。
そんなとき、理化学研究所が脳研究分野の研究者を募集していることを知った。

 「『文系出身で、脳科学者でもないが』と問い合わせたら『どうぞ』という。
理研といっても私たち文系にはなじみが薄くて、ワカメの会社かな?と思って
いた」と笑う。

 今は、日本人の赤ちゃんがどうやって日本語を理解するようになるかを研究
している。脳科学のグループとの共同研究も進む。

 文系と理系、日本と外国とを行き来しながら自分のテーマを追いかける馬塚
さんは、「日本は研究環境を自由に選びにくい。流動化は悪いことではないが、
彼らを支える制度が社会にない」という。

 日本は長い間、終身雇用を前提に発展してきた。脇道にそれたり寄り道をす
ると、やり直しがきかない国でもあった。それを脱却しようと進む流動化は、
いまだに「動く」リスクを個人に背負わせたままだ。【元村有希子、永山悦子】
=第3部おわり

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