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新首都圏ネットワーク


『毎日新聞』2005年11月23日付

理系白書’05:第3部 流動化の時代/4 「産むなら辞めてくれ」
 <壊そう、文理の壁>
 ◇無理解な上司、少ない選択肢
 「出産するなら、辞めてくれ」


 佐藤晶子さん(35、仮名)は、妊娠を知った教授の言葉に耳を疑った。

 生物学の研究者である佐藤さんは東日本の大学で任期付き(3年)の助手と
して働いている。任期は来年3月までで、その翌月に出産予定だ。教授はこれ
まで「任期が切れたら、別の研究費で5年間雇うよ」と言ってくれていた。

 「だから、次のポストへの切り替えをお願いしようと思った。育児休業は短
くね、と言われる覚悟はしていたけど、まさかクビとは……」

 教授は「研究費が減り、人件費に余裕がなくなった」と取り付くしまもなかっ
た。「理解がない人の下で働き続けてもつらいだけ」。佐藤さんは知人や昔の
恩師を頼り、職探しに走った。研究を中断すれば、将来の自分の評価に影響を
与えると考えたからだ。

 1年契約の、大学職員のポストが見つかった。ゼロ歳児を受け入れてくれる
保育園を探し、会社員の夫と分担しながら子育てに取り組む覚悟だ。「産んで
も研究はできるだろうと簡単に考えていたが、実際は辞めさせられた。クビが
つながるかどうかは、上司との関係次第なんですね」

 日本の女性研究者は、研究者全体の11・6%(内閣府調べ、04年3月時
点)と、欧米の半分から3分の1止まりだ。背景には、出産・育児の支援制度
の不備がある。出産適齢期に差し掛かる20代後半から30代前半は、研究者
としても業績を積み、終身職に就く大切な時期と重なる。

                ■   ■

 高橋麻理子さん(30)は週に3日、1歳半の長女を抱っこして東京大駒場
キャンパス(東京都目黒区)に出勤する。敷地内にある東京都の認証保育園に
娘を預け、午前10時から午後5時まで研究する「パートタイム研究者」だ。

 博士課程2年で結婚し、3年の秋、妊娠が分かった。博士論文を中断して出
産。2カ月間休んで研究に戻った。幸運だったのは、預けられる保育所が見つ
かったことと、出産後も元の研究室で働けたことだ。

 「任期付きや非常勤は、今の私の身の丈に合った働き方」と高橋さん。夫は
会社員、両親も頼れない。急な発熱で保育所に連れて来られないことも多い。
非常勤のポストなら、自分のペースで研究が続けられる。

 高橋さんは、クジャクの雌が雄を選ぶ行動を研究している。独身時代には
フィールドワークで飛び回り、深夜までの実験もいとわなかった。「出産して
作業量は激減したけれど、長距離ランナーのつもりで、今やれることを精いっ
ぱいやるだけ」。今年5月には、九州にある夫の実家に滞在し、義母に娘を預
けて近くの鳥類センターで実験した。来年春の学会には、子連れ出張も考えて
いる。

 研究責任者の長谷川寿一教授(動物行動学)は「限られた時間に最大の成果
を望むなら、出産や子育てはリスクかもしれない。でも研究力に男女差はない。
まして彼女は世界で一番、このテーマに詳しい研究者です」と見守る。

                ■   ■

 理工系の39学会が昨年実施した2万人規模の研究者実態調査によると、女
性の独身比率は男性の1・7倍、「子どもなし」は1・6倍、離職経験者は2・
4倍。女性研究者が「子育てか研究か」を迫られてきた現実が浮かぶ。

 今春施行の改正育児休業法で、任期雇用も育児休業の対象になった。ただ、
条文が定める要件を厳密に適用すると、研究職に多い「任期3年」は育休が取
れない。雇う側の意識が低いままでは、流動化は女性にとって逆風となる。

 日本学術振興会は、来年度採用する特別研究員(任期付き研究員)の募集枠
に「産後復帰支援枠」(男女50人)を上乗せする。現職の特別研究員に対し
ても、育児休業に加えて「パートタイムで働き続ける」選択肢も用意し、柔軟
に対応する。

 しかし、この制度の対象は最大1500人程度で、研究者全体からみれば極
めて少ない。「研究者にとって一番大切なのは『働ける場』。大学や企業も彼
女たちの熱意に応えてほしい」と久保真季・総務部長は強調する。【永山悦子、
元村有希子】

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