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新首都圏ネットワーク

 

『毎日新聞』2005615日付

 

研究の不正行為:相次ぐ論文データ改ざん・ねつ造 モラル頼み、ダメ

 

 

 論文のデータ改ざんやねつ造など、研究の世界での不正行為の発覚が続いて

いる。著名な科学誌に研究成果が掲載されることや、論文の数で研究費が増減

する環境が背景にあると考えられるが、今後、競争環境の激化で、不正はさら

に増えるとの指摘もある。専門家は「日本は防止策など対応に遅れが目立つ」

と警鐘を鳴らしている。【元村有希子、永山悦子、根本毅、河内敏康】

 

 阪大、理研で

 

 大阪大医学部は5月、米医学誌に掲載された論文に改ざんが見つかったとして、

論文責任者の下村伊一郎教授(内分泌代謝学)らが論文を取り下げたことを明

らかにした。論文は、マウスの遺伝子を改変して「Pten」という酵素の働きを

抑えると、インスリンの働きが向上し、たくさん食べても太らなくなったとい

う内容だった。

 

 「実験ノートに、論文の内容に相当する十分な記述がない」「データの重複

は一部、意図的に行われた」。大学側は会見で、改ざん個所は少なくとも10

所に上ると公表した。

 

 「不正を働いた」とされたのは医学部6年の学生。動機について大学側は「い

いデータを早く出さなければならないというようなプレッシャーがあったかも

しれない」と説明した。

 

 下村教授は014月、特別研究員として阪大医学部で研究を開始。翌年4月、

38歳の若さで教授に昇格した「阪大のエース」(関係者)だ。ホームページに

よると、この4年間に18本の論文(問題の論文を除く)の著者になった。学生は

2年の春から別の研究室で研究を始めた。大学院生が中核となる研究に、学部生

がかかわるのは異例だが、学生は8本の論文にかかわり、将来を有望視されてい

た。

 

 学外の法律家を含む調査委員会の委員長でもある遠山正彌・医学系研究科長

は「データは研究者にとって大事で、研究の根幹にかかわるものなので、慎重

に事実関係を調べている」と話す。

 

 研究者約3000人が在籍する理化学研究所でも昨年、論文の改ざんが発覚した。

 

 血小板が作られるメカニズムに関する論文で、米医学誌に掲載された。とこ

ろが、根拠となるたんぱく質の存在を裏付ける画像に研究者が手を加え、「邪

魔な部分」を消去していた。関係した研究者は退職し、論文は訂正された。

 

 理研は、論文不正など不祥事全般を扱う「監査・コンプライアンス室」を今

4月に新設。秋までに不正防止策を作る。研究者には検証に欠かせない研究ノー

トや生データの保管を求め、不正が確認された場合は退職勧告や研究費の一定

期間凍結などの処分が行われる予定だ。大河内真・総務部長は「研究所が論文

の不正を調べることはできない。研究者のモラルにかかっている」という。

 

 プレッシャーと誘惑

 

 「一度、危ないことがあった」。ある研究機関で生命科学の研究チームを率

いる佐々木彰さん=仮名=は振り返る。

 

 自分の論文を投稿する直前、データの信頼性が不安になった。研究仲間に追

試を頼んだが、結果が再現できなかった。投稿をやめた。

 

 「こうなってほしい、という希望的観測に引きずられたかもしれない」。生

命科学研究は、誤差も含めてグレーゾーンが広いため、自分に都合のよいデー

タの選び方をすると、後で外部から指摘されても申し開きができない事態にな

りがちだ。

 

 「期待通りのデータが出ないと責められる」「論文が載らないと次の職がな

くなる」など、研究者はさまざまなプレッシャーの中で「不正」の誘惑にから

れる。佐々木さんは「常に不正と隣り合わせであることを肝に銘じなければ」

という。最近は、データに手を加えることへの抵抗も薄まっている。画像を鮮

明にするなど、パソコン上で簡単に加工ができるため「これが不正を誘発する」

と指摘する専門家もいる。

 

 「必ず複数の研究者が関与し、議論には生データを使う。データを数多く取

り、第三者が追試するなどすれば、グレーゾーンは狭くできる」と佐々木さん。

「結果として不正は研究生命を絶つ。自分の行為が正しいかどうかを冷静に判

断できる、風通しのよい環境作りも必要だ」と指摘する。

 

 背景に競争

 

 研究者の業績は論文で評価される。本数に加え掲載された雑誌の知名度や、

論文が他の研究者からどれだけ引用されたかなどが判断材料になる。

 

 内閣府の調査では、研究機関や大学が業績評価の結果を反映させる場合、最

も多いのは「昇格・降格やポストへの登用」、続いて「研究費増額など体制の

充実」だった。一本でも多く、著名な雑誌に載せることで、地位や研究費を確

保する−−。こうした競争環境は強まっており、昨年の国立大学法人化で加速

した。

 

 しかし、その評価方法が、論文の「質」より本数を優先するような安易な場

合もあり、研究者のモラルだけで不正を絶つのは難しい。

 

 不正行為を研究する山崎茂明・愛知淑徳大教授は、不正が起きる構造につい

て「ボスは部下にプレッシャーを与えて研究成果をあげ、論文を書いて生き残

る時代になった。不正が起きれば、それは個人の問題というより研究室全体の

問題だ」と指摘する。その上で「『不正はいけない』ではなく『みんな不正を

起こしうる』という視点で、どうすれば回避できるかの教育をすべきだ。その

ためにも、どんな状況で不正が起きたか事例を集めていく作業や研究が欠かせ

ないが、日本はまったく手付かずだ」と訴える。

 

 米では3割が告白

 

 米国の医学・生命科学分野の中堅・若手研究者の3分の1は、研究上の何らか

の不適切行為を犯したことがあることが、米国の財団などの大規模なアンケー

トで明らかになった。米国でも厳しい競争によって科学者の倫理意識が危うく

なっていることが浮き彫りになった形だ。9日付の英科学誌ネイチャーに掲載さ

れた。

 

 調査は02年、ヘルスパートナーズ研究財団やミネソタ大などの研究チームが、

米国立衛生研究所から研究資金を受けている中堅・若手研究者6884人を対象に

実施。「データの偽造や加工」「アイデアの盗用」など10項目の「重大な違反

行動」と、「論文の多重投稿」など6項目について、過去3年間に自分が行った

ことがあるかどうかを尋ねた。

 

 計3247人(回答率472%)から回答があり、このうち33%は「重大な違反行

為」の少なくとも一つを「行ったことがある」と答えた。

 

 「データの偽造や加工」は03%、「アイデアの盗用」は14%と比較的少

なかったが、「論文の多重投稿」は47%、「矛盾するデータの隠ぺい」は6

0%、「資金提供者の圧力で研究方法や結果を変更」は155%と多かった。

 

 研究チームのブライアン・マーチンソン博士は「33%は控えめな数字だ。明

白な不正行為はまれだが、疑わしい研究慣習が研究者の間に広がっている

ことは大きな問題だ。これらを防ぐことは難しいが、限られた研究資金を奪い

合う競争は激しくなっており、彼らの研究環境を考え直す必要がある」と指摘

する。【西川拓】

 

 日本は不正行為、共通の定義なし

 

 不正行為に関する共通の定義は、日本にはない。日本学術会議は03年の報告

書で、(1)ねつ造(存在しないデータを作る)(2)改ざん(データに手を加

える)(3)アイデアやデータの盗用、を挙げた。これは、米の政府部局で不正

行為の調査権限を持つ「研究公正局」の定義だ。このほか重複発表、不適切な

引用、研究に参加していない上司を著者に加えるなどの「不適切なオーサーシッ

プ」にも言及し、これらは科学的な功名心のほか、研究費やポストをめぐる競

争環境が誘因になっていると指摘した。