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  「意見」の根幹は項目設定(アジェンダ・セッティング)にある

                     佐賀大学理工学部 豊島耕一

1.「中期目標」をめぐる攻防が重要である
 「法人法」が国会で可決され,これが実施に移される来年四月には,すべての国
立大学は「理論的には」大学であることを止める.私学高等教育研究所主幹の喜多
村和之氏は,「学問の自由とその制度化としての自治を喪失した大学は,もはや大
学の名に値しない.仮に大学の形態は保ち,生き残りは保てたとしても,それはも
はや大学ではないと著者は考える」と述べている[1].まさにこの意味において大学
は死ぬのである.
 しかし死は一瞬に訪れるのはない.心臓が止まっても,体のすべての細胞が死滅
するまでにはいくらか時間がかかるのと同じである.したがって,これからの大学
人の責任は, 法人法廃止の努力と共に,この法律を出来るだけ無害化し,大学の死
を最小限にくい止めることにある.その努力における今の時点での最重要課題は,
各大学が提出をせかされている「中期目標案」の問題にどう対処するかということ
だと思われる.
 「中期目標」,「中期計画」をめぐっては,国会審議どころか,法案ができる遙
か前から,その作成を文部科学省が各大学に指示していた.これが 国会無視である
として参議院の委員会で文部科学大臣の責任が問われたのは記憶に新しい.しかし
この問題では大学側にも,そしてこれに従事した教員個人にも責任がないとは言え
ない.文部科学省の指示とはいえ法的根拠はなく,断ることが可能であったし,当
然そうすべきだったのである.《違法な命令に従ってはならない》と言うのは,半
世紀以上も前,ニュールンベルグ裁判で確立した規範のはずであった*.そしてこ
の「中期目標・計画」の作成という行為は,今日法律が成立したからと言って遡っ
て正当化されるというわけではない.「職務専念義務違反」や「経費流用」が問わ
れるかも知れない.少なくとも,各大学で作られた「案」なるものは,このような
不当な手続きによるものであり,何ら有効性を持たないのである.したがってゼロ
から出発しなければならない.(筆者によるものも含め,国会無視との指摘は繰り
返しなされている[2].)
 さて,各大学でこれから文章化されようとしている「中期目標」とは,おそらく
法人法30条が規定する大学の意見表明権による手続きの一環と想定される[3].

  国立大学法人法 30条の3
  文部科学大臣は、中期目標を定め、又はこれを変更しようとするときは、
  あらかじめ、国立大学法人等の意見を聴き、当該意見に配慮するととも
  に、評価委員会の意見を聴かなければならない。

したがって,少なくともこの件に関しては忠実にこの条文に沿って行われなければ
ならない.すなわちこの“意見”については,その内容はもちろん,その形式にも
何ら限定がないということに注意しなければならない.もちろん「文部科学省の指
導にもとづいて意見を述べる」などということはあり得ない.その意味でも,これ
までの「早まった」作業における作成手順,フォーマットなどはすべて破棄されな
ければならない.なぜなら,これらの作業は,国会無視であったというだけでなく,
多かれ少なかれ文部科学省の指導ないし干渉のもとで行われたことは明らかだから
である.

2.「中期目標」問題の原則
 どのような原則でこの中期目標の「作成」に臨むべきか,あるいは法律に沿って
正確に言えば,文部科学大臣にどのように,どのような“意見”を述べるべきか,
ということがまず考慮されなければならない.
 まず,付帯決議にもかかわらず,法律では「中期目標」は文部科学大臣が定める
とされていることを無視してはならない.参議院での付帯決議に「中期目標の実際
上の作成主体が法人である」とあるが,もちろん効力は法律の文章の方が強い.(そ
れにしても自らが可決したばかりの法律の条文の一つを「嘘だ」と言ってしまう神
経とは一体何だろうか?)そして,この条文こそは,元文部大臣の西岡氏さえ「文
部科学大臣の権限が強すぎる」として反対し,またすべての野党が「学問の自由を
侵す」として非難の的としたものであった.
 もし野党のこの理解を共有するならば,そして,この懸念を全面否定する文部科
学省の見解(強弁と言いたいが)に与しないのであれば,この条文を出来るだけ空
文化することが最も重要な課題となるであろう.すなわち,これに大学の意見をあ
れこれと盛り込むことよりも,この内容自体を最小限に抑えることが優先されなけ
ればならないのである.
 そのためのおそらく最良の方法は,文部科学省の下請け作業のようなものには一
切協力せず,「大学の行動や計画を縛るような具体的な目標は提示すべきではない」
との“意見”だけを述べると言うことであろう.さらに「触れるべきではないこと」
のリストを付ける必要があるかも知れない.すべての国立大学の中期目標を「定め
る」義務は文部科学大臣にあると法律に書いてあるのだから,その義務は自分で履
行しなさいということである.いざとなればそれも可能だと思って文部科学大臣は
そのような法律を作ったのであろうから,お手並みを拝見しよう.大学の意見表明
はあくまで権利であって義務ではないのである.その内容が憲法や教育基本法に反
すると判断されれば,直ちに訴訟を起こすこともできる.
 それではあまりにも「素っ気ない」と思う人も多いであろう.その場合には「原
案」らしいものを作るのも悪くはない.しかしその場合でも,「自らの考えを盛り
込むべきだ」などと言って,この文書にあれこれと盛りだくさんに書き込むことは
避けるべきである.それが結局は文部科学大臣が「定める」文書に転化することを
考えれば,そのように幅広く“示して”下さいという,大学から文部科学省へのメッ
セージとなってしまうであろう.これは汗を流して自らの墓穴を掘るという作業に
他ならない.
 さらに避けるべきなのは,文部科学省の合田隆文氏の名前で7月31日付けで出
された「フォーマット」にしたがって作成するなどと言う愚行である.なぜなら,
どのような意見にせよその最も根幹の部分は項目設定(アジェンダ・セッティング)
にあり,それがすでに決められた文書に加筆するなどということは,単に「アンケー
ト」に答えるということに過ぎないからだ.これに多くの教員が疑問すら持たない
とすれば,まさに「マークシート方式」による洗脳が大学教員にまで進んでいるこ
とを意味するだろう.文部科学大臣が定める「目標」への意見ということであれば,
「そこに定めるべきではないこと」を指定した意見もあり得るが,合田フォーマッ
トにはもちろんそのような項目はない.
 統一フォーマットを避けなければならないのは,文部科学省の干渉,介入を出来
るだけ避けるためという実際的な理由にもよる.項目が統一されていれば,文部科
学省はそれらの項目ごとに「出る杭」がないかどうかを効率的にチェックできるで
あろう.大学がそのような手段を進んで提供するというのは,度外れたお人好しと
言うべきだろう.留意しなければならない項目は,法人法30条に規定された5つ
以外にはない.
 国民に対するアカウンタビリティーは,全国ネット声明文が述べるように,将来
計画について国民・市民向けに別途示すことで果たすことができる.

3.「非現実的」か?
 以上のような見解に対して,「現実的でない」,あるいは「原理主義者の遠吠え」
と見る人が多数だと思われるが,しかしそう決めつける前によく考えていただきた
い.教養部解体に始まってのこの十年来,文部科学省の敷いたレールに「現実的に」
いちいち対応して来た結果が,今日の大学破壊を招いたのではないかということで
ある.このことについてどうか熟考してみていただきたい.この間の推移について,
文部科学省の当局者の立場から眺めて見たら分かりやすいだろう.大学教員に関す
る限り,御しやすく,物分かりのいい人々として見えるのではないだろうか.彼ら
は実際にそう思っているかも知れないし,あまりにも抵抗がなかったことに拍子抜
けしているかも知れない.
 あるいはまた,「力関係から考えてやむを得ない」という類の反応も返ってきそ
うだ[4].だがそのような言葉をすぐに口にする人は,「力」という言葉を,単に
「数」という意味で,特に権力を持った人の数という意味でのみ使っているのでは
ないだろうか.しかし「力」というものはいろんなスペクトルを持っている.言葉
の力,金の力,あるいは大仁田議員のように文字どおりの腕力などなど,極めて多
次元的な量である.その中でも最も重要な力は想像力であろう.そして総合的な力
は,それらの能力を人数その他での積分したものとして評価しなければならない.
 そして何よりも重要なことは,力というものは運動の中で生成するものだ,とい
うことである.これは行法化阻止運動の中でたった今我々が経験したばかりである.
新聞広告のために4千万円もの資金が3ヶ月で生成した.これは,提唱した人の想
像力が産み出したものだ.
 また,言葉の持つ力をもっと重視しなければならない.コマーシャルの分野では
このことは常識だが,またこの点では小泉人気の中にもヒントがある.これだけの
悪政にもかかわらず,なぜ50%もの人が彼を支持するのかを考えたとき,その重
要なファクターとして,彼が振りまく--いかにデタラメであっても--「断固たる」
言説や,「改革原理主義」のイメージに思い至る.つまり多くの人々は「硬派」的
言説や態度を好むのである.すぐに相手の敷いたレールに乗る大学人サヨク(?)
にはこれが全く欠けているように思われる.これでは人々を引きつける「勢い」と
いうものは持てないし,「力」を生成することもできない.原理原則に真に忠実な
言葉は,それだけで固有の力を持ちうるかも知れないのだ.我々がいかに「骨太」
にこの問題に対処できるかが問われている.

4.「悪法も法なり」について
 あり得るもう一つの批判は,「悪法も法なり」という言説から生じるものであろ
う.すでに国会を通過して法として成立したのだから,それには従うしかない,と
いう考えである.一見尤もらしいが,しかし「法を守る」ということの意味をよく
考えたとき,これは常に正しいとは限らないことが分かる.法には構造があり,上
位の法に違反するものは無効である.憲法98条には次のように書かれている.

  この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、 命令、
  詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有し
  ない。

憲法には罰則がないためにこれの無視や違反を放置され,一方,処罰,処分される
ことを理由に,違憲の法律や命令には忠実に従う.これは「法を守る」という態度
とは無縁のものであろう.上位の法と下位の法とが矛盾するとき,上位の法を選ぶ
のが真に「法を守る」ということであろう.処分されるかどうか,逮捕されるかど
うかということは規範にはならない[5].このような,単に言葉だけではない市民の
積極的な行動がない限り,憲法の侵食を止めることはできないだろう.

5.文部科学省廃止も視野に
 「満身創痍」で何とか成立したと言われる「法人法」だが,これに「治癒」の時
間を与えてはならない.さらに追撃を加え,回復不能な「障害」をできるだけ多く
与えておかなければならない.「中期目標」をめぐる攻防はその一環である.国会
での貴重な議論の記憶が新しい今こそ,その努力を集中する必要がある.さもなけ
ればこのモンスターは活力を取り戻し,大学を本当に壊滅してしまうだろう.
 ある新聞は,国立大学の独法化で文部科学省がミニ官庁になったと書いた.国立
大学を官庁と同一分類で数えるという問題はさておき,もしこの官庁の勢力が弱まっ
たのであれば,これを廃止する良い機会が来たと言えるだろう.この官庁は大学の
最小限の存立原理さえ守ることが出来なかった.それどころか自らがその破壊の先
頭に立ってしまったのである.このような官庁の存在意義を今なお認める大学人は,
かなり減ったのではないだろうか.もちろんこれが小中高の教育に及ぼした害悪は
はかり知れない.(2003年8月9日)

[1] 「大学は生まれ変われるか」(中公新書,2002年3月刊)
[2] 以下の拙文または声明文を参照下さい.(新しい順)
イ)教授会・評議会で行法化の是非そのものを議題に (豊島,03.2.5)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/coward.html
ロ)国会無視の暴走 (「しんぶん赤旗」03年1月11日)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2003-01-11/13_04002.html
ハ)持つべき「危機感」とは何か (豊島,ScienTech, No.18. 03年3月発行)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/scientech03.html
ニ)「結果」偏重の価値観は問題 (豊島,02.11.19)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/jomo-shinbun1116.html
ホ)「学問の自由」は消費するだけでいいのか? (豊島,02.11.1)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/resumeKagoshima021101.html
ヘ)全大教岡山教研での発言 (豊島,02.9.7)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/okayama020907.html
ト)「たたかう」という言葉を理解しない組合に存在意義はあるか (豊島,02.9.11)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/role-of-union.html
チ)官学癒着の暴走を止めるためにご援助を (豊島,02.9.5)
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/UniversityIssues/toMPs020905.html
リ)大学人の最低限の「社会貢献」は大学存立の原理を守ること (全国ネット,02.5.9)
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/znet/seimei020509.html
[3] 「法人」になってはじめて認められる権利で,現在の大学にはない,という議
 論があれば別であるが,そのような解釈をする人は少ないだろう.
[4] そのような言葉を使う人は,少なくとも「闘っている」人のはずだろう.とこ
 ろがほとんどの場合そのようには見えない.私の観察が正しければ,要するに闘
 わないための口実としてこの言葉が使われているにすぎない.
[5] このような,「政府の違法行為を市民によって抑止する」という考えで非暴力
 運動を進める団体は世界に数多く見られるが,その一つ,イギリスの核廃絶を求
 める団体,トライデント・プラウシェアズの事例も大いに参考になる.この運動
 のリーダーの一人は1999年にイギリスの原潜の実験施設を破壊したが,「国
 際法違反の大量破壊兵器関連施設を破壊するのは正当」として,4ヶ月後には無
 罪判決を受けた.座り込みや基地のフェンスを切ったりする活動でも多くの逮捕
 者を出しているが,彼らはむしろその数を誇っている.現在までの逮捕者の累積
 は1,795名にものぼる.つぎのウェブサイトをご覧いただきたい.
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/goilsupt.html

* 「国際軍事裁判所規約」第八条参照
 http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/peace/nurchartr.html

豊島耕一
TOYOSHIMA Kouichi
1 Honjo, Saga-shi, 840-8502 Japan
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp
http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/Default.html
佐賀大学理工学部物理科学科
840-8507 佐賀市本庄町1
phone/fax: +81 952-28-8845